新収 史学雑誌 第120編第5号
2011-06-21


『史学雑誌』第120編第5号、2010年の歴史学界、2011年6月。

 毎年6月に刊行される回顧と展望が既に到着している。
 先のエントリは3月末くらいに書くつもりのことだったので、その間2か月にいただいた論文を後回しにするのはもうしわけないが、極力早く時計の針を修正するということで先に記録しておく。

 回顧と・・・の評者は若手研究者にはわりにあわない大変な仕事である。どうも2,3箇所の分野を見るとあまりご自身では情報を集めなかったのか情報収集不足の観があったりして脱力感のある分野とそうでない分野が交錯している。ところによっては評者の論文の書き方や出身ゼミの学風、価値観が評文に(良い意味でも悪い意味でも)でていたりと興味深い。

(アクセスが増えた。一般的に書くには粗すぎる内容もあったので、要点を絞った)
 
 なお、個別の話にはなるが、贋物であるという疑いさえあった五胡関係の内容を持つ敦煌文献の真贋、年代、出土資料の性格を論じた拙稿を五胡時代の「単なる史料批判、新出資料の紹介といった方法論」と位置づけ、全く異なるレベルで編集されている佚文集とあわせて、将来的に「五胡時代の国家に関する包括的理論」をもとめたい、とする評文には驚いた。佚文集の趣旨とも拙稿の論点とも関係がない。

 そもそも敦煌文献(典籍)に書かれていた内容を史料として扱うということと敦煌文献としての資料的性格を論じることはわけて考えなくてはならない(敦煌「文書」の場合は一体で考えることが多い)。該当資料は史料としての価値は決して高いとはいえず、拙稿ではその内容をふまえつつ敦煌文献としての資料的性格を論じたのである。目的はそこにあって「五胡」にない。また年代不詳の典籍断片の年代、書名を確定していく作業は「史料批判」ではないであろう。

 佚文集はどちらかというと自分は史学史的興味と史料参照に便利であることから、参画し編集したもので、それを用いてさえ五胡史を描くのには多くの難題がある。出土文献も稀少であって中国史でもっとも扱いづらい領域のひとつ(だから論文も少ない)だと思っている。
 また佚文集や拙稿(前稿がある)をあとで発表された佚文集関係者の研究の補足と理解されているようだが、研究史としては扱いがまったく逆である。

 ただ、包括的理論や「王朝の制度思想全体を論じる視点」を至上の目的とする「評者が属する世界」があるのだろう。外にいる私にもその現代的意義をまずお教え願いたい。

 私は現在の魏晋南北朝史においては、まず、編纂史料以外の資料を史料としてもちいていく分析手法の開拓がもとめられていると思っているし、その点は数年前の拙稿に示したとおりである。
 編纂史料から抽出された史実や世界観を天下国家としてまとめるのではなく、その外にある資料を論じることで編纂史料の編纂者の意図やその限界がうきぼりにしていかなくてはならないのではないか。そしてそれだけの資料がでてきている。
 そのように他時代と同様の水準まで編纂史書偏重の状況が脱却できたならば、その先の大きなテーマの一つとして国家論もあってよいとは思う。
 
 ただこうした評がでてくる背景には、これまでの出土資料や史料整理による魏晋南北朝期の研究が一定の世界像をえがきだしてこなかったことへの不信があるのだろうとうけとめた。
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